シータヒーリング®︎は魂の学びを進めてくれるヒーリングです。
なんじゃそりゃ?
…と思うかもしれませんが。
人生を懸けて真理への探求の旅を続けた先達は数知れず、その教えはあらゆる宗教や信仰となって受け継がれています。
信じる対象は違っても、結局はみな同じところを目指しているんだなーと思います。
もちろんシータヒーリング®︎は宗教とは関係ありませんが、全てなるものへと続く真実の旅路についての哲学的なお話はかなり多く、それ以外にも自然科学的なこと、医学的、量子力学的なこともたくさん学びます。
それはもう、知的好奇心を掻き立てられます。
「ブレインキャンディにならないで!」と、創始者のヴァイアナさんはよく言います。
わたしは昔から頭のいい人にとても憧れていたので、今でも難しい言葉をたくさん並べて喋る人たちの中にいると、自分も頭が良くなったみたいでちょっといい気分になります。
学校生活にトラウマありすぎ(笑
こんなでしたから、シータヒーリング®︎を習い始めた頃は聞いたこともないたくさんのことを知って有頂天でした。
そうだったのか!
そういうことだったのか!
腑に落ちた!
なんでも分かったつもりになっていきました。
大きな勘違いなんですけどね。
そもそもセミナーで得た知識が何の役に立つのかというと…
別に知識を詰め込んだところで癒しが起きるわけでもなく、解脱できるわけでもない。
その知識の助けを借りることで、物事に対する視点を変えたり、自分自身を見つめ直すことはできますが、それが真の気づきかと言われると、疑問。
単に新しい情報を「気づき」だと勘違いしただけかもしれません。
当時のわたしは、潜在意識のことを学ぶほどに罠にハマって、セルフワークばかりやって、
知ってるつもり
やってるつもり
できてるつもり
に、なっていったのでした。
同じセミナーを何度受け直したことでしょう。
毎回新しい気づきがあることが嬉しくて、理解を深めれば、スピリチュアルな成長もしていくと思っていたのです。
過去形で言ってますが、今もうっかりするとブレインキャンディになって、知識欲を満たすためだけに本を読みふけることもあります。
読まずに積んである本も…
読んでも意味分からない本も…
あります。
そんな頭でっかち状態でインストラクターになろうと思った時、先生に言われました。
とにかく場数踏め!
習い始めてから割とすぐに人へのセッションをしていましたが、1人やっては「あーでもない、こーでもない、」と分析ばかりして、ヒーリングというよりもカウンセリングみたいになっていんですね。
で、武者修行に出たのです。
友達の力を借りて人を集めてもらいました。(彼女の集客力ったら!)
3週間で約50人の人に60分セッションをしました。
毎日ではないので正味14日ほどです。
ど素人にしては頑張ったと思います。
この経験はモーレツな学びでした。
知識ではなく、経験からしか得られない学びです。
あれだけ習ったこと、覚えたこと、それらは今まで頭の上っ面のぺらっっぺらなところに貼り付いていただけのただの「情報」だったと気づいたのです。
ガチョーン
誰にも助けてもらえない環境で、わたしがクライアントさんを助ける立場。
こんな時、自分の薄っぺらな知識なんか何の役にもたたないのです。
「だって、セミナーでこんなクライアントさんにどう対応するのか習ってないもん!」
その場になってやっと気づきました。
今まで本気で創造主を頼ってなかった…
連続でセッションしまくる中、分析も復習もする間がなく、真っ白になって追い詰められて、
「どうしよう!わたしにはどうにもできない!」
「創造主、この人を何とかしてあげて!」
祈る気持ちでそう心の中で叫んだ時、
自我の枠を飛び越えていく感覚を感じました。
わたしが知りもしないこと、何だかわからないことが見え、それを伝えるだけでクライアントさんが勝手に自分で解決していってくれる。
自分で何とかしようとするのをやめた時、創造主がヒーリングするのを見たのです。
それは純粋な祈りとして聞き届けられたのです。
そういえば、アナトミーのクラスで難しいゲストクライアントさんに追い詰められて、わけわからん行動に出ちゃったことがあったのを思い出しました…
あの時も何もできない降参状態で、純粋に「この人がこれ以上苦しまないようにして!」と祈ったのです。
それはちゃんとヒーリングとして成り立っていました。
数年後ヴァイアナが発表した新しいクラスでそのやり方が公開されて、
先生が「先取りしてたなー、お主」と言っていました。
自分でやらなくていい。
「創造主がヒーラーですよ」と、あれだけ言われていたのに、全然分かってなかった…
知識はただの情報で、本当の知恵ではなかったのです。
武者修行以降、セッションがとても楽になりました。
そして、自分に対するクリアリングも変わりました。
自力で掘り下げようとすると痛くて辛いのですが、創造主に繋がって委ねると、ただそれだけで癒えていくのです。
習った手法を使わずとも、ただただ癒されて、執着が剥がれ落ちていくのです。
今自分でやっている瞑想法も掘り下げも、テキストには載っていない方法です。
よく受講生さんにどうやってセルフワークしてるのかと聞かれますが、説明しづらく、多分、自分にしか通用しないんだと思います。
これは、内なる知性から得た智慧で、外からインフォメーションとして与えられたものではないからです。
こういうのを気づきとか覚醒と呼ぶんだと思います。
かと言って、
これで悟って解脱するわけじゃないですよ。
プチ覚醒ね、プチ。
全て悟ったら肉体など要らないし、たとえ魂に戻っても永遠の学びが続くんです。
今、地上でもじもじ生きて、それを楽しんでいます。
たまにダークサイドに落ちてのたうったりもします。
それでも、ほんの一瞬「すべてなるものの創造主」と一体となれると、ひょいっとそこから出て新しいステージへと進みます。
クライアントさんとのセッションだとより繋がりやすいのは、人のために祈るという行為がいとも簡単に自我を手放すスイッチになるからだと思います。
人のために祈って、結果自分が癒されてることも多々あります。
だからセッション大好きです(笑)
もし今、セミナーや練習会で学んでも前進できずにいたり、自分にがっかりしてる人がいたら、頭使うのやめて体張ってみるのもいいかもしれないですね。
不安から闇雲に行動をしろと言ってるのではなく、脳内のプレイを体で表現してみたら?ということです。
優しさという徳を学んだなら、人にも自分にも優しくする。
ソウルメイトのマニフェストをしたら、お肌のお手入れしておしゃれして出かける。
インナーチャイルドを癒したなら、子供のように無心に遊ぶ。
物理世界で目の前のことに一生懸命に取り組んでみたら、きっと創造主とがっぷり四つになって、素晴らしい癒しを体験すると思いますよ。
(個人的には怖いところに飛び込むのが好物です)←マネしなくてもいいです。
地球は行動の星です。
この星には、体験を通してでしか得られない真の学びというものがあります。
ブッダだって、瞑想で悟る前に王宮生活を捨てて世界を体験したんです。
日々の生活にフォーカスして初めて、精神世界への扉が開きます。
魂は、分析をやめて、えいやーって体当たりするのを待ち望んでるのかもしれないですよ。
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やっぱり飛び込み推奨してる(笑
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