先日、4日間のとあるセミナーに参加してきました。
去年も参加して、母とのイシューが完全に終わるきっかけとなったセミナーです。
今回のテーマは「理由なき愛」、シータで言うところの無条件の愛でしょうか。
テーマが愛だけあって、ハートチャクラの大浄化祭りです。
クンダリーニを上げすぎでちょっとめまいがしましたが、これでもかと言うほどハートを閉ざすブロックを壊していきます。
4日間を通してたくさんの気づきと変容がありました。
この中で一番大きな気づきと解放があったことをシェアしたいと思います。
わたしはかつて、こじらせ恋愛マスターでした。
粘着質というか、愛着障害というか、人間関係全般が苦手で、特に恋愛は揉めごとなしでは済ますことができませんでした。
親であろうと、パートナーであろうと、友達、ペットに至るまで、愛を育む関係性では相手に執着してそばに置いておきたくて、とんでもなくうっとうしい人なのです。
ずっと一緒にいたい。
ひとりにしないで。
置いていかないで。
留守番はイヤ。
40過ぎても、態度はまるで子供の頃と変わりませんでした。
そんな自分のことが嫌いでしたから、シータヒーリング®︎を始めてすぐにこの粘着体質を変えようと集中的にワークしてきました。
当時、今の夫K氏と一緒に暮らしていたのでマジでなんとかしないと関係性の死活問題だったのです。
彼と出会った頃は「後ろの人」の声がよく聞こえていたので、アタックしとろ毎回後ろからどつかれて、なんでこんなに言われるのか不思議でした。
今思うと、K氏は関係性の学びを完了させる重要な相手として人生に用意されていた人で、わたしのガーディアンたちはみんなして協力してくれていたのです。
が、しかし、その過程で過去生で彼と死に別れていることまで思い出し、絶対この人はわたしを置いて行ってしまうと毎日怯えることになりました。
不思議だったのは、K氏もわたしとの過去生の一部を覚えていたことです。
このことを知って、今回は何かを学びきらねばならないのだと思いました。
そして彼は、結婚する時に絶対わたしより先に死なないと言ってくれました。
今度こそ。看取られたい。
変なマニアフェストです。
幸いワークが効いて、数年後には完全ではないけれど、だいぶ関係性が安定してきました。
ところが、先日のセミナーのワークの最中、カルマの解消というプロセスだったのですが、彼との過去生が出てきたのです。
ハートを開くというのは、わたしにとっては大事なテーマだったので最近は優先的に取り組んでいたのですが、
「なんで今さら彼との過去生?」と不思議でした。
片付けたつもりだったのです。
またしても。
以前と比べたら穏やかな関係性になり、時々吹き出す感情はそのうちに消えるだろうとタカを括っていました。
肝心なことを見逃しているとは思いもしなかったのです。
瞑想のプロセスの中で、お馴染みのシーンが出てきます。
中世のヨーロッパの教会で、十字架に向かって祈り続けるわたしの姿。
すると、急に壁にひびが入り、血が流れてきて、彼が戦地で死んでしまったことを悟るのです。
必ず帰ると約束したのに。
絶望し、修道院で祈り続けて残りの人生を1人で生き、1人で死んでいきました。
孤独に祈るわたしの後ろでは、スピリットとなった彼が申し訳なさそうに見つめています。
(K氏はこのシーンを覚えていたそうです)
ここまでは見覚えのある光景です。
そこで場面が変わり、
普段の生活の中で彼が「ただいまー」と帰宅するシーンが見えました。
なんということもない、日常の場面です。
その時
わたしの中で何かがパッと光って…
一瞬で理解しました。
彼は約束を破ってなんかいない。
ちゃんと毎日帰ってきてくれている。
時空を超え、肉体を着替え、ここにいる。
必ず帰ると言った通り、帰ってきていたのです。
なんてこと、全然気がつかなった。
失う恐ればかりが強くて、何も見えていなかった。
そう気づいた途端、深い感謝が湧き上がり涙が溢れてきました。
不思議と圧倒される感覚はなく、
深い海の底のような静寂の中、愛と感謝がただありました。
本当に、ただ愛そのものだったのです。
思考も感情もひたすら静かで、涙だけが流れていました。
それから胸の辺りが輝いて、背中から突き抜けるような勢いのあるエネルギーがハートを貫いていきました。
光と共に過去や過去生の別れのシーンが吹き出し、消えていったのです。
呆然と見ていました。
別れなんてない。
愛を失うこともない。
わたしたちはいつも繋がっていて、会いたいと望めばあらゆる形で会うことができる。
肉体に囚われすぎて真実を見失っていたのです。
海のように深い執着の愛で溺れかけていたわたしが、突然美しい愛の海へと変わり、自分と愛との区別もなく、だた存在している…
もう、失う恐れを持つ必要もなく、
孤独に凍りつくこともないのです。
なんて自由な感覚。
胸が軽くなっていました。
ワークしてきたつもりでしたが、
いえ、ここまでやってきたからこそ、この解放があったのだと思います。
執着がないと愛が保てないというのは思いこみでした。
人生のほとんどを愛に執着して生きてきて、こんなふうに新しい感覚になれるとは思ってもいませんでした。
愛別離苦とはよく言ったものです。
人類はどれほど愛に執着し続けてきたのでしょう。
愛を失う恐れは、いとも簡単に人生を破壊してしまうのです。
いくつもの人生を壊し、ようやく気づきに至った瞬間でした。
セミナーから帰ってきてわたしの内側では、夫の言動に対する反応が色々変化しています。
うまく言えませんが
繋がりを感じながらも個人的に受け取らないというか…
とにかく今までとは違う感じです。
これがこの先、どんなふうに人生に現れてくるのでしょう。
楽しみにしつつ、観察を続けていきたいと思います。