先日、セミナーでSedonaに行ってきました。
Santa Feでは量子体験がすごかったので、「今回はどんなことが?」と、期待に満ち満ちていました。
が、
意外と普通。
景色は凄まじい迫力なのですが、あまりにも絶景過ぎてカレンダーの写真のよう。

一緒に行ったみんなは、口々にエネルギーがすごいと言っているのですが
わたしにはよく分からない。
なんとなく、いつものお山のような、フレンドリーな感覚がするだけで、特別すごいとは感じられなかったのです。
着いた日は移動疲れで早々に寝てしまい、朝までぐっすり。
翌日は野外ワークではなく、ホテルのカンファレンスルームで講義&瞑想。
久しぶりに師に会えた喜びを除けば、なんてことのないスタートでした。
ところが、新しい呼吸法をやっているうちに奇妙な感覚になってきました。
この感じは、以前も時々でてくる感覚だったのですが、今回はとてもリアルに感じます。
お腹に意識を向けて、呼吸をしてマントラを唱えていると、
自分がお腹の中にいて、そこがとても広く感じるのです。
広いお腹の中にマントラが響き、心地いい。
肉体のサイズとは違う、広々とした空間。
そして、大きな安心感。
どこまでが肉体でどこからが外なのか、あいまいになっていきます。
思考の声は遠ざかり、ただ、この感覚の中に浸っていました。
この間、目は開いたままで、周りの景色やプールサイドを行き交う人も見え、
ホテル内の人の声などが聞こえるのですが、全く気になりません。
瞑想が終わって、師が「どうでした?」と聞いたとき、
この感覚のことを話しました。
すると、師はうんうんとうなずき、にっこりしながら
「それはサトルボディだよ」と言いました。
ハッとしました。
そして、深く納得したのです。
自分の肉体なのに、物理的な大きさとは違う身体。
わたしは肉体だけの存在ではないのだと、はっきりと認識したのです。
サトルボディとは、一般的には
人間の「微細な身体」そのもの(エネルギー的な層の全体構造)のことを言いますが、
わたしが感じていたのは、
特別なエネルギーなどではなく、単に「肉体からはみ出した感じ」でした。
(直径2mくらいのサイズでした。)
わたしたちは、普段「身体に収まっている」感覚でいますが、
実は意識のフィールドというのは、肉体のサイズにとらわれていないんですね。
師がジョークを飛ばして楽しむのは、
それに引っかかって、わたしたちが「きゃあ」ってなった時に
サトルボディが大きくなったり、小さくなったり、ひょこひょこ変化するのがとても可愛いいからだと言っていました。
実際、PTSDを発症している人やサバイバルモードの人は、サトルボディが肉体にピッタリと張り付いた状態で隙間がないそうです。
「サトルボディが大きくのびのびと広がっている時、その人はリラックスしていて、ジャッジメントから離れています。
そして、身体の3つの脳はバランスを取り戻し、コヒーレントな状態になっているんですよ。」
つまり、自らの肉体や魂、スピリットが共鳴し合い、
ひとつの美しいハーモニーを奏でている状態。
説明として聞くと大層なもののように聞こえますが、
その時の感覚は、ただ気づいている意識なだけでした。
「お腹だけでなく、それがハートで感じられたら、きっと素晴らしいですよ」
師がにっこりとしながら言いました。
その夜、寝ていた時のこと。
急に目が覚めて、おかしな感覚になりました。
「これが時差ボケというものかしら?」
まあいいや、と寝ようとしたところ
身体の上の空気がうねうねと動き、波のように寄せては返し、
だんだんと動きが大きくなってきました。
「うう、きもちわるう〜」
身体はベッドに沈み込んでいて、どこが境目なのかわかりません。
しかも動かない。
「まさかの金縛り??」
すると、頭や肩のあたりからずるんずるんと這い出る感じがします。
「体脱(体外離脱)?」
なんだか蛹が脱皮しようとしてるみたいな奇妙な感覚です。
セドナの街は、幾つもの大きなボルテックスに囲まれた地形で、
この時初めて、このエリアのエネルギーのうねりを感じていました。
あかん、もう諦めよう。
そう思ったとき、ふわっと自由になりました。
意識はどこまでも広がって、周辺の山々を包み、懐かしい感覚へと戻っていきます。
ただ、その状態でいました。
同室のMさんのいびきで、ふっと身体の感覚に戻り
またすぐ広がってどこまでもいきます。
その繰り返しの中で、いつの間にか眠りに落ちていました。
翌日は寝不足のまま炎天下の登山。
へろへろになったのは言うまでもありません。
(このために、お山を走ったりして臨んだのに、とほほ)
そしてまたその翌日。
その日は睡眠もばっちりで、サクサクとお山を登っていけました。
「ではここで少し瞑想をしましょう」
遮るものが何もない崖の上…
暑いよ
集中できないよ

壮大な景色を見ながら、ぼへ〜っと風を感じていました。
ところが
この「ぼへ〜」がスイッチなんですね。
身体の境界がなくなり、見てる景色が360°になる…
あ、そうだ。
ハートで感じてみよう。
師の言葉を思い出して、ハートに意識を向けました。
すると、周囲の全てがハートに入ってくるような感覚がありました。
言葉では説明することは難しいのですが
ただ「ハートで感じている」のでした。
壮大な景色の中、
意識はただ、そこにあるだけでした。
期待したような圧倒される体験はなく、
今ここ。
地味。
だけど本当に、過去も未来もなく、自分でもなく、
無?
というか、無色透明?
とても地味な体験でした(笑
帰国してから思ったのは
「案外大したことなかったな」
と言うのが正直なところでしたが…
数日後、鳥の餌をやっている時に
ハッとしました。
この何気ない行動。
この一瞬、一瞬。
突然、この全てが特別に思えたのです。
セドナの壮大な景色の中を歩くことも、
瞑想での感覚も、
非日常の体験だから特別なはずと思っていたけれど…
そういうことではなかった。
自分自身の在り方が変わってしまったことに気がついたのです。
わたし自身がハーモニーでいるとき、
どの瞬間も自然と調和の中にあるのだと。
もしも、調子ハズレの音でいるなら
それはきっと、一瞬一瞬を大切にしていないということなんだろう。
わたしは何を期待していた?
外側に体験を求めすぎて、大したことないなんて思っていたけれど
違う。
わたしは内側にちゃんとそれを持っているんだった。
突然、思い出したのです。
これではまるで、
幸せの青い鳥のお話しのよう。
大切なものは、すでに持っていたのです。
セドナはそれを思い出すための、きっかけを与えてくれました。
わたしには、
壮大な経験よりも、
穏やかに思い出すプロセスこそが
必要だったのです。
「普通」の中に、
ちゃんとあるんですね。


