11月7〜9日にマーク・アンソニーによる「ウェルスコンシャスネスセミナー(富の意識)」が開催されました。
4年ぶりの対面開催。ホストとしては5回目の参加でした。
このセミナーでは、毎回同じ内容にも関わらず、ドカン!ズシン!とパンチを喰らったような衝撃があります。
分かっていたつもりのことが実は全然分かっていなかった!
みたいなことが何回もあり、その度にすごく腑に落ちて、セミナー後に豊かさが転がり込んでくるのです。
再受講される方がとても多いのも、そのせいなんでしょうね。
(受講するたびに豊かさのレベルが上がると評判です♪)
さて、今回もいろいろ気づきがあったのですが、豊かさを引き寄せるのにとても簡単ですごく効果的だなとしみじみ思ったことがあります。(セミナー内容をお話しすることはできませんので、わたしの受け取った部分だけを書きますね)
それはズバリ、「感謝」です。
なあんだ、そんなこと分かりきってるよ。と思う方も多いかもしれません。
わたしもそうでした。
ありがとうの法則とか、神様とか、昔ハマりました。(効果なかったけど)
でも、なんで感謝なのかと聞かれて、ちゃんと説明できますか?
理屈の問題ではないのですが、
感謝をするということは、現状に対して満足をするということなんです。
例えば、新しい家や車などが欲しい時、今の家や車に対して不満を感じていることが多いと思います。
だからと言って、不満をブーブー言っているといつまでも願いは叶いません。
これは、引き寄せの法則であり、なんであれ自分が放ったエネルギーと同じレベルの周波数のものを引き寄せるということで、ブーブー言ってる人は、ブーブー言うような出来事やモノや人を引き寄せているんです。
豊かさを引き寄せるなら、豊かな気持ちでいなさいということです。
感謝できるということは、「わたしはたっぷり持っている」と宇宙に宣言しているようなものですから、「ない」ことにフォーカスしなくて済むし、たっぷり持っているエネルギーが巡り巡ってやってくるわけです。
ここまでは普通の理解でした。
スピリチュアルを学んでいれば、当たり前のお話しです。
じゃあ、今回何がドスン!ときたのか
朝の瞑想の後、感謝のことをぼんやりと考えていた時、日常のほんの些細なことを思い浮かべ、ほんわかと暖かい気持ちになったのです。
ああ、わたしはなんてことない生活に満足してるんだなー。
今の古い家はとても寒いけど、なんだかんだと居心地がいいし、鳥たちものびのびしてる。
大金持ちには程遠いけど、好きなことだけやっていて生活ができてる。
そんなことをつらつらと思い浮かべていたら、
シータを始める前の自分とはえらい違いだなと、思わず笑ってしまいました。
そして、はたと気づいたのです。
過去に起きたたくさんのおどろおどろしい出来事を、まるでギフトのように思い返していたのです。
そこには怒りも恨みも悲しみもなく、
感謝だけがさりげなく置かれていました。
まるで置き配のように。
そして、創造主が全てを無駄なく配置してくれていたこと、自分がちゃんと受け取っていたこと(取り乱しながらも)を知りました。
これが感謝。
何かをしてもらったから
何かもらったから
ではなく、そもそもそこにあったことに気づくこと。
その感覚はあらゆることが感謝なのだと、教えてくれました。
空気があって、水があること
朝起きて、手足が動くこと
お腹いっぱい食べられること
すでにあるものに感謝をし始めたら、
腰痛ですら、愛おしく感じてきたのです。
アレルギー体質も、昔からの友だちのような気がしてきました。
もっとこうだったらいいなと思っていたことも、もう十分ありがたくて愛おしいと感じるのです。
何もだめなことなどなく、
足りないことなどなかったのです。
もう自分に足りないものをどこにも探しに行かなくていい。
この感覚は新鮮なようでいて、懐かしいものでした。
その時から何か違う歯車が回るような感じがして、現実に起きることも変わってきました。
今まで会ったことのないタイプのクライアントさんがやってきたり、
今まで避けてきたことを自発的にやっていたり、
もちろん、経済的な引き寄せも。
起きることが全てギフトなら、何が起きても心配はいらない。
そう思うと、これまでとは出来事に対する反応の仕方が変わってくるのです。
「感謝というのはね、とてもパワフルなんだよ。」
「だから毎日感謝から1日をスタートさせなさい。」
マークが言いました。
5年も同じセリフを聞きながら、実行していたつもりで、表面をちょろっと舐めただけでした。
かつて創造主がわたしに言ってくれた言葉があります。
それこそ5年くらい前だったでしょうか。
「おまえの存在そのものが感謝だよ。」
ふーん、と聞き流していたわたし。
感謝が足りないw