春ですね。今年も庭の隅っこにコスミレの新芽が伸びてきました。
ここら辺が雑木林だった時の名残か、庭に自生している株です。
この冬はとても寒かったから根がやられちゃったかなぁと心配したのですが野生は強いですね。
花の季節までにはあともう少し。
まわりの雑草や落ち葉を少し整理してあげようとしゃがみこんだ時…
「私の南天は元気?」
と…
親友の声が聞こえてきました。
コスミレの横に植えてある南天は、わたしがここに引っ越してきた時に近所のお宅から譲ってもらったもので、根を掘り起こす肉体労働を彼女が買って出てくれたのです。
ボクシングをやっていた彼女は筋トレが趣味で、スコップを振るうかたわら
「ね、この肩甲骨の筋肉がモリモリしてすごくない?」
と、筋肉自慢をしていました。
体調の悪さから少しうつ状態になってしまった彼女は、うちに何泊かして田舎の景色と猫や鳥たちと一緒に過ごして気分転換をしていたのでした。
一緒に畦道を散歩したり、原っぱで四葉のクローバーを探したり。
だだっ広いショッピングセンターの向こうに山が見える景色を
「カナダのショッピングモールみたい。帰って来たみたいだー。」
と言って、何もない田舎を楽しんでいました。
そして彼女が帰る時、
「私の南天のお世話、よろしくね」
と言い置いていきました。
その後、手術を受けて元気になった彼女と会うたびに
「私の南天は元気?」
と聞くので、すっかり季節の挨拶のようになっていました。
その3年後、彼女はガンで亡くなりました。
つい3ヶ月前まで元気だったのに。
あんなにがん検診も受けてたのに。
突然の訃報に、世界が真っ白になりました。
私は辛さのあまりぎっくり腰になって立ち上がることすらできず、葬儀に参列しませんでした。
うすら寒い小雨の降る11月の初め、
這うようにして彼女の南天のところへ行き、一人で地面を握り締め、お別れを言いました。
高校生の時からの親友。
友達が極端に少なかったわたしにとって、彼女は大事な人でした。
頻繁に会うことはなくても、いつでも肝心な時に現れて、わたしを引き上げてくれる力強い人でした。
「私の南天は元気?」
あの時と変わらない、少しふざけた声で彼女が尋ねます。
1周忌の命日以降、ぱったりと姿を見せなかったけれど、久しぶりに来てくれたのね。
元気だよ。
もう剪定してあげないとモッサモッサだね。
コスミレもニワゼキショウも、これからどんどん伸びてくるよ。
シロツメクサとホトケノザは増えすぎたから抜いちゃったけどね。
先週受けた病気と障害のセミナーで、わたしは子宮ガンを憎んでいることを知りました。
彼女の死で自分のことを責めていたことも。
あんなにがんを恐れていた彼女を、もっと支えることができたのではないか。
ずっと昔から彼女の抱える怒りに気づいていたのに。
なんのためにシータヒーリングをやっていたのか。
そして、さっさと逝ってしまった彼女に対して怒っていたことにも、今ごろ気づいたのです。
いろいろな思いがとめどもなく溢れてきました。
ですが、どれもこれもお互いに必要な出来事で、最善を尽くしたのです。
いろんなことに気がついた今、全てを許すことができる時が来たようです。
そろそろ手放せるかな。
悲しいやり方で何かを学ぶのはもうやめよう。
彼女の南天は今日もとっても元気。
日当たりが悪い庭の隅っこで、めげることなく少しの光を求めてぐんぐん枝を伸ばしている姿は、とても力強いのです。