父が亡くなって5日目。
いよいよ愛人宅へガサ入れです。
実は前日、ホテルに泊まってのんびりようと思っていたのですが、部屋のお風呂場の段差につまづいて足の指の生爪を思い切り剥がしてしまって、のたうちまわりました。
しかも緊急事態宣言のせいでホテルのレストランはやってないし、外は大雨。
痛すぎる足を引きずって、ヒーヒー言いながら一番近くのコンビニまで80mを10cmずつ歩いたのでした。
ああでも、大雨の中、無残に足を引きずるオンナに世間は優しかった。
横断歩道で信号が変わってしまっても車は無言で待っていてくれ、痛すぎてマスクも忘れたけどコンビニの人たちは道を譲ってくれました。
サンダル持ってきて良かった。
変なところでサイキック。
足が痛すぎるから明日は行くのやめようか…
いや、これは試されてるのよ、きっと。
単なるおっちょこちょいを大げさな出来事にした、愛人宅ガサ入れ前夜でした。
当日。
足の痛みはだいぶ引き、ルームサービスの朝食で気分も上がり、タクシーでマンションまで行きました。
着いてみると、エントランスで兄が困惑しています。
「出ない」
「へ?」
「かれこれ30分も呼び出してるけど、出ない」
「電話も?」
「うん」
「まさか…」
「まさかねえ」
リーディング。
「あ、お使いに行ったっぽい」
「そうか。ありえるね」
出鼻くじかれーの約1時間後、いそいそと帰ってきたあの人。
ごく普通のおばあちゃん。
思ったより上品。
「あらっ!お待たせしちゃった?ごめんなさいねー。お出しするお菓子が何にもなくってー。」
やっぱり…
天然なのかこの人。
緊張のご対面がなんとも締まりのないものとなりました。
会ったらまず、父を看取ってくれたお礼を言おうと思っていたのに、いざ室内へ案内されると、
ものすごーーーーーーーーーーーく嫌な気持ちになりました。
父とその人のスリッパが並んでいます。
趣味悪いな
だから変な服着てたのか ←心の声
わたしはホテルから持ってきた簡易スリッパを出しました。
「あら、これ使ってくださいな」
「結構です」しまった、間髪入れずに答えすぎた
足の生爪剥いだところが痛すぎて、つま先の空いてる物しか履けないからです、と兄がフォローしてます。
直接足裏をこの家に付けたくないだけよ
玄関を入ってすぐそこの部屋を見ると、そこはいかにも父の部屋でした。
あちこちきちんと整頓されていて、でも細々した物が多くて。
祖父母の写真のところにムギ(うちで飼っていた柴犬)の遺骨が置いてあるのを見つけて、
「やっぱりここに住んでいたのか」と手が震えました。
リビングでお茶でもどうぞ~と言われ、ぐずぐずぐずぐず「お茶なんかいらねー」と思いながら行くと、兄は愛想よくあの人の話を聞いてあげています。
「日が経つにつれて、悲しくなってきてね。あの日はあの人そこに座って、それから部屋で少し寝ると言って…」
壊れたレコードのように、亡くなった日の話を繰り返します。
ボケてんのかな、少し。
ショックだからかな。
いや、ボケてんだろな。
あの人が、あの人が、
あの人って父のことかー
なんて奇妙な響きだろう
出された麦茶を口にして、吐きそうになりながら飲み干しました。
そしてリビングのあちこちに飾られたスペイン旅行の写真をぼんやりと眺め、この旅行を知って母がとても傷ついたのを思い出していました。
「何歳だったかな、わたし。20代前半かな」
胃のあたりと心臓のあたりから、何かがむわああっと込み上げてくるのを感じました。
ああ、気持ち悪い。
無言で父の部屋へ行き、遺品整理を始めました。
無礼な態度も、どうでもいい感じでした。
既に何もする気がなくなり、ムギの骨だけ持って帰ればいいやと思っていました。
あの人が部屋に来て言います。
「本当に、日が経つにつれて寂しくなってね。くすん。」
はああ??
誰に向かって言ってんだ?
心の中で大声。茨城の漁師のおっさんみたい。
「わたし何も分からないから、全部持って行ってね」あの人が言います。
「何にもいらない。これ(ムギ)だけでいい。あとは全部処分します。」
「えっ?処分て。お父さんの物いらないの?思い出でしょう?」
はああ??
おめ、誰に向かって言ってんだ?
ここにあるものがどーして思い出になるの?
なんであんたと父の思い出を共有しなきゃなんなのよ!
寂しいって?
当たり前だろ!
添い遂げるって、そういうことだろ!
こっちはもう30年も前に父と別れてんだよ!
寂しさなんかとっくに乗り越えてんだよ!
あの時の方がよっぽど辛かったんだよ!
ベッドの下のものを出しながら涙がボタボタと落ちてきます。
そうか。
そうだったのか。
わたし、辛かったのかー。
そして、こんなにこの人に怒ってたのか…
どうしてこの人のことを全く考えたことがなかったんだろう。
意識の外の外に追いやっていたのだろうか。
幼いわたしの心を守るためには、それがベストだったのだろうか。
とめどもなく溢れてくる感情に圧倒されながら、遺品の整理はノロノロと進むのでした。
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後編へ続く