とあるセミナーで、
パートナーとの関係について「惰性」と話している方がいました。
その方はもうパートナシップについては悩みなどなく、ただ続いてるだけの関係と言うのです。
相手に対して不満はあるけれど、経済的なサポートや子供たちの親としての役割には満足しているし、別れるほどではない。
そもそも、もう相手に興味がなくなってしまったから、知らないところで浮気をしていても別に構わない。
「愛情?そんなものなくてもやっていけますよ!(笑)」
ひどく投げやりに聞こえるのですが、本人曰く「割り切ってるから問題なし」だそうです。
「すげー」と思い、目をパチクリさせて聞いていました。
「好きでもない人と一緒に暮らす」ことが平気なんて、すげー。
「相手に不満があるのにお金を運んでくるから満足」なんて、すげー。
「子供の親の役割だけ果たしていればいい」なんて、すげー。
わたしなら、
好きでもない人と一緒に暮らすなんてできない。
愛が冷めたら一緒になんていられない。
お金は大事だけど、相手の不満を言いながら暮らせない。
子供の親であればいいって、自分がそういう扱いされたら絶対やだ。
でも、この方は平気なんだ。
すげー。
寛大なの?
前の結婚が破綻したのは、わたしに堪え性が無かったから?
確かに、周りの既婚者たちの話を聞いていると、この方と同じようなことを言っている人が多いし、クラスの中で笑いながら大きく頷いてる人もいっぱいいる。
ワガママなのかしら?わたし…
と、思ったけど
やっぱりそんな関係性を続けるのは無理だわ。
朝一番に顔を合わせる人が最愛の人じゃないって、生きてる意味がないわ。
パートナーに求めるものが、人によって違うのね。
うん。
人それぞれだからね。
どんな思考パターンでそうなったのか興味あるけど。
と、1人問答をしていた時、講師の先生がニコニコしながら
「どうしてそんな喜びのない関係性を持つ必要があるんですか?私には理解できません。」と言い放ちました。
シーン。
クラスが静まり返り、笑っていた人たちの首が刎ねられて飛んでいきました。
先生は別にジャッジメントがあるわけでなく、純粋に理解不能という顔をしていて、
そして優しく彼女に笑いかけながら言いました。
「あなたはもっと愛されていいし、もっと愛していいし、もっと喜びに溢れた人生を送る価値のある人なんですよ。」
「そして、それを創り出す力も持っているのに。どうして活用しないんですか?」
何かがペチャっとつぶれたような音が聞こえました。
惰性の関係性をカラカラと笑っていた彼女が泣いています。
首を刎ねられた人たちの中にも泣いている人がいます。
一瞬で、エネルギーを変えてしまった。
ジャッジメントがないというのは、こういうことなのか。
同じセリフをわたしが言ったらどうだろう?
きっと上から目線になってしまうだろう。
先生はそれ以上何も言わず、ニコニコとクラスを見渡していました。
喜びのない関係性を続けるほど、人間の寿命は長くない。
そんなことをしにここに来たんじゃない。
人生の目的なんて大袈裟なことを考える前に、喜びをもたらさないものを手放しなさい。
自分を苦しめる物事を「どうでもいいこと」と、無関心を装ってしまい込むのはやめなさい。
そんな状態に自分を置き続けるのはやめなさい。
もっと自分を大切に扱いなさい。
あなたには、その価値があるのだから。
そんな言葉が聞こえてくるような気がしました。
かつて、泥沼離婚劇場で苦しんだわたしは、長いことかかって沼から這い出た時、もう2度と喜びのない関係性を持つのはやめようと思いました。
愛と尊厳がない関係性や我慢だけの関係性もいらないと思いました。
こんなふうに、短い言葉でエネルギーをひっくり返してくれる人に、あの時会っていたら。
どんなに救われただろう。
……。
ま、でもアレだ。
なんでも自力で解決するぞ!の思考パターンがあったから無理だわ(笑)
今だからそう思えるだけだわ。
もう過去のことを思い出しても何の感情も動かない。
ただの記憶となってしまっている。
あの頃、自分を苦しめる物事を「大したことじゃない」と、何も無かったフリをしていたのに。
そんなこともすっかり忘れていたのです。
必要なことが、必要な時に起きた。
ただそれだけ。
学びや気づきはあったけれど、あんなに苦しむ必要はなく、もっと軽やかに超えていく選択肢が見えなかっただけ。
人は変われるものです。
「喜びのない関係性なんて、持つ必要ない」
そう思えたら、そんな人生になるんです。
あなたは、どんな関係性を持ち、どんな人生を送りたいですか?
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