今年も野生の鳥さん達と出会って、別れて、いろいろな気持ちが織り混ざった鳥スピの年でした。
この一年は、私自身が体調を崩すことが多かったせいか、やってくる子も少なかったのですが、最期を看取ることばかりで気落ちして
「うちを虹の橋の通過地点にしてんじゃない?」
と、創造主に文句を言ったりもしました。
野生の子たちに関しては、以前ほど気持ちを揺るがすこともなく、淡々と見送ることができるようになりましたが、それでもブログに書いたツミちゃんのように「古い思い」がよみがえることもあり、過去の感情というのは、こんなにも深く仕舞い込まれているのだと、改めて気付かされました。
特に悲しみは根深く、忘れたと思った頃にふいに思い出して泣けてくる、なんて経験がある方は多いのではないでしょうか?
以前、わたしの師匠がポツリと言ったことがありました。
「悲しみは、未消化な思いが、その関係性に残っているからいつまでも出てくるんだよ」
未消化な思い…
確かに、
すごく可愛がっていたのに、死んでしまった後に清涼感で包まれる子と、
どうにもこうにも悲しくてやりきれない子がいるなと、
鳥のことで思い当たることはいくつもありました。
「わたしはもっと何かできたんじゃなかろうか?」
という思い。
これがある限り、生死を自然なこととして受け入れられず、
自分が彼らの命をコントロールできたはず、というエゴに囚われ続けるのです。
逆に、もともと長生きできないような障害のある子に対しては、
ただ、精一杯向きあうだけで、死んでしまっても、自分に何かできたとは思わないのです。
元気になって野生に戻ってほしい。
これが最大のジャッジメントでした。
ただ、「それでいいんだよね」と、思えない時、
わたしは彼らの命に対して責任を感じていたのです。
そして、自分が許せなかった。
「ペットは責任を持って最後まで飼いましょう」と、よく言われますが、
無意識にこれを誤解して信じ込んでしまったパターンも多いでしょう。
責任を持って飼うとは、
ペットを長生きさせるいい飼い主であるべき、という意味ではないのです。
寿命は誰にもわかりません。
病気になる遺伝子の子もいます。
うっかり怪我をさせてしまうことだってあります。
病気の兆候に気づかないこともあります。
避けられないことは、いくらでもあるんです。
でも、彼らとの関係性の中で、一番大切なのは、「良い飼い主でいる」ことではなく
「どれだけ愛したか」です。
無条件の愛を与えてくれる彼らに、同等の愛を返すのは不可能に近いですが、
それでも、心の底から愛するということはできます。
その愛に包まれて生きたのなら、それが1日であろうと、10年であろうと、関係はないのです。
これは人間関係でも同じです。
どれだけいいパートナーでいたか、いい親でいたか、いい子でいたか。
そんなことはどうでもいいのです。
今更やり直すことはできない関係性で、悲しみが残っているなら、
「どんな自分だったのか」を評価するのはやめて
「こんなふうにして欲しかった」と求めるのをやめて
その関係性の中にある真実を見つけてください。
それは、いい悪いでもなく、生きていても死んでいても関係ない、たった一つの真実です。
正解を探し求めても、悲しみは消えません。
悲しむことが愛の証でもありません。
その真実に気づいた時、悲しみは浄化され、意識はさらにクリアになっていくのです。
新しい年を迎えるにあたって、
不要になったエネルギーが意識の奥底から簡単に溶け出すよう
エネルギーをお送りします。
良い年をお迎えください。

