先日、ケイちゃんが虹の橋を渡りました。
7歳11ヶ月。障害がある体にしては長生きだったと思います。
とても美しい羽根を持ったキンケイの女の子で、よく「美人さん」と呼んでいました。
うちに来る前、ケイちゃんは脚が前後に開いて立てない状態でした。
ペットショップでヒヨコの時から売りに出され、栄養状態が良くなかったのか元々の問題なのか、少しずつ両足の腱が伸びていったらしいのです。
ショップに来るお客さんがその状態を見かねて通報してくれ、生後5ヶ月で小動物の保護団体の方を通してお迎えしました。
まあ、ひどい状態で。
まず清潔にして、体が転がらないよう寝床を整え、フードも変えて環境に慣らしつつ、毎日脚のマッサージをして、ここは安全な場所なんだよと教えました。
その甲斐あってかすぐに懐いて、数ヶ月後にはなんとか使える方の脚で立つことができるようになり、思わず写真を撮りまくりました。
ぴょんぴょん大変そうでしたが、本人は動けるのが嬉しいのか気にせずあちこち歩き回っていました。
引き取ってしばらくは目が死んでいて、気力もなく、ただボーっとしているだけだったのが嘘のようです。
そしてもう一つ、驚いたことがありました。
すっかり慣れたケイちゃんはケージに入るのを嫌がり、人のそばで過ごすようになっていたのですが…
ある日、わたしがリビングでゴロンと横になった時のこと。
少し離れたところにいたケイちゃんと目が合いました。
おいでと言おうと思ったその瞬間、彼女の顔がパッと輝き、こちらに突進してきたのです。
そしてわたしのお昼寝まくらにピョンと乗り、じっとこちらを見つめました。
よく懐いている雌鶏は時々こんなことをするので、ケイちゃんも懐いたもんだなーと思ったのですが、
違う!
そうじゃない。
これは完全にコッコさんの仕草だ!
「ケイちゃん、コッコさんだったの?」
そう言った瞬間涙がドバーッと溢れました。
ケイちゃんがくる何年か前、可愛がっていた母娘の鶏がいました。
お母さんのおっかさんが病気で苦しんで亡くなり、そのショックで娘のコッコさんは引きこもりになってしまい、ようやく元気になったところで彼女も苦しんで亡くなったのです。
おっかさんもコッコさんも天然記念物の鶏の血統を残すために近親交配を繰り返していたので体が弱かったのです。何度も何度も病院へ通ったものです。
野鳥の保護やリハビリの経験は長いのに、実はこの時まで鶏を飼ったことはなく、こんなに懐くとは知りませんでした。
可愛くて、可愛くて、鶏がこんなに可愛い生き物だと知らず生きていたなんてと思うほど、一緒に過ごす毎日が幸せでした。
それなのに、肝心な時に知識も経験も何の役に立たず、ただオロオロするだけで苦しみを軽くするすべも無く、泣きながら逝かないでとすがったのです。
おっかさんの最後には、わたしの「後ろの人」(当時のガイドスピリット)が見かねて
「やめなさい、もう逝かせてあげなさい。」と言いました。
コッコさんの場合は特に最後は急変して苦しんで、何が起きたのか分からず怖がったまま逝ってしまったのでとても後悔をしました。
もっと落ち着いて見送ってあげればよかった。
最後のお別れも言えなかったなんて。
そのコッコさんが大好きだったのが、わたしのお昼寝まくらに一緒に乗って添い寝をすることだったのです。
ケイちゃんが目をキラキラさせてこちらを見ています。
突然、ビジョンが頭の中に流れ込んできました。
眩しい光の中…
亡くなったコッコさんがお迎えに来てくださった観音様の前で地団駄を踏んで行くのを拒んでいます。
「まだ帰りたくない!もっとここにいるの!」
すると観音様が優しく透き通るような声で仰います。
「それなら別の体になりますよ。
そして、見つけてもらうためには不自由な思いをしなければなりません。
見つけてもらえるという保証もないのですよ、それでもいいのですか?」
「それでもいいの。帰りたいの。」
「わかりました。では行きなさい。
そして、もう十分だと思うまで過ごしてきなさい。
もしもお前の願いが全て叶ったら、その時はきっと……になりますよ。」
白昼夢のような映像をみて、呆然としました。
そしてとても納得がいったのです。
ケイちゃんはペットショップでの辛い日々で、このことを忘れてしまっていたのでしょう。
思い出してドヤ顔です。
「もう一度来たくて頑張ったのよ。」
そんな風に言っているように見えました。
そうだったの…ありがとう。
これからまた一緒にたくさん遊ぼうね。
このことはわたしにとって意識がガラリと変わる出来事でした。
魂が転生をするとしても、肉体はやっぱりその時限りの特別なもの。
肉体に魂が宿るのではなく、今の肉体は魂の側面の一つで、体で魂を表現していくものなのかもしれないと思うようになりました。
ケイちゃんはというと、過去のことを思い出したらもうどうでもいいみたいで、新しい体が不自由でも特に気にする風もなく、その後はただひたむきに生きました。
明日でいいやとか、いつでも遊べるし、なんて思うのは人間だけでしょう。
鳥も動物も、みんなその時その時をひたすら生きています。
そのひたむきさがとても尊いものに感じるのです。
わたしも今のケイちゃんをそのままひたすら愛して、いつお別れしても後悔のないよう一緒にいられる時間を目一杯楽しみました。
そして、お別れの時が近づいてくるのです。
後編につづく