先日、海外ドラマを観ていた時のこと。
その回は許しがテーマのお話だったのですが、何の気なしに聞いていたエンディングのナレーションの言葉が入ってきた途端、ぶわっと涙が溢れてきました。
許しとは、踏みつぶされたスミレがかかとに放つ香りである。 マーク・トゥエイン
不意を突かれ動揺しました。
なぜなら、その感覚にはハッキリと身に覚えがあったのです。
子供の頃から動物を飼ったり、野鳥の保護などやっていると、必然的に死に直面する機会が多くなります。
それも大きな後悔と罪悪感を伴って。
自分の至らなさを情けなく思い、無知を恥じ、何もできずにただ見送った鳥たちに幾度許しを請うたことでしょうか。
自然は厳しいからと人は言いますが、鳥たちの死因のほとんどが人災でした。
そんな経験を繰り返し、いつしか人間に嫌気が差し、
そして常に人類を代表して自然に対して詫びていました。
こんな私がなぜ人を癒すヒーラーになったのか…は、また別の機会にお話しするとして、
とにかくいつも「許して」と鳥たちに言い続けていました。
そして数年前、まだシータヒーリングに出会う前。
いろいろあってうちでお世話していたメンフクロウのポーさんの寿命がもうすぐ尽きるという頃、
いつものようにわたしは「許して」と彼に言っていました。
本来なら野生で自由に力強く生きていた彼が捕らえられ、外国へと連れ出され、カゴに閉じ込められ、傷つき、一体何のための一生だったのだろうと思うと不憫でなりませんでした。
よそで閉じ込められて飼われるよりはうちで自由に暮らしていた方がマシだろうと思ったこともありましたが、
それもただの思い上がりのような気もします。
一緒に暮らした最後の10年間、彼は幸せだったのでしょうか。
とても自信がありません。
そんなある日、もう歳をとって目も悪くなっている彼が昼間にもかかわらず降りてきて、わたしをじっと見つめました。
目が合って、胸がいっぱいになり、思わず言いました。
「ごめんね。辛い思いばかりさせて。許してね…。」
その瞬間、彼はふわっと目を見開き、何か言いました。
正確には心に直接伝えてきました。
それは、深い深い慈愛でした。
そもそも誰のことも恨んでなんかいない、全てを受け入れた愛。
これが許しなんだと、一瞬で悟りました。
ああ…
膝から崩れ落ちて号泣しました。
今まで自分を責め続けてきた長い時間が全て癒された瞬間でした。
彼の愛情を素直にただ受け取っていい。
自分自身を許せた瞬間でした。
許しがこれほど深い癒しを行うのだと初めて知りました。
そして、かねてより知らされていた時刻に彼は静かに旅立って行きました。
ただそばにいて、見送るだけで十分でした。
踏みつけられ、痛めつけられてなお、深い愛(薫り)を放っていったポーさん。
祝福と共に創造主に迎えられたのです。
わたしはこの経験を通して、自分自身が与える許しというものを考えました。
自分のことをひどい目に遭わせた人に向かって、果たしてこんな慈愛を持てるのでしょうか。
むり。
シータヒーリングやっててもできっこない。
こんなの人間業じゃないもの。
シータヒーリングで許しのワークはたくさんたくさんやってきたけれど、わたしのなんか
「ぬおおおお!ゆ、ゆ、ゆ、ゆ、許しますううう。ぐうう(嫌だけど!)」
もしくは、
「はい。許します。」みたいな上っ面のワークです。
ただ、こんなふうに力んだ許しのワークとは全然別のことで、
ふと、本当にその時のその人を理解できた時に自然と湧き上がる気持ちというものは、あります。
その時、わたしは深い憤りから解放され、自由になります。
怒りで自分自身を傷つけることをやめられるのです。
「許しは最高の保護です」
シータヒーリングの創始者のヴァイアナさんはよく言います。
本当にその通りだと思います。
人を許すことで自分も許され、世界は安全な場所へと変わっていきます。
辛い目にあったであろう鳥たちが旅立つ時、あれほど自由で軽やかなのは、許しの中にいるせいだったんですね。
だから旅立った瞬間に光に帰ることができるのでしょう。
完全な許しなんて、今のわたしには遠い世界かもしれない。
それでも、
あの慈愛と許された感覚は確かな感覚として持っている。
だからきっと…
そのうちきっと
わたし自身が愛と許しそのものであると思い出せる日を信じて。
今日も無条件の愛と光をたっぷりと。