5月の終わりのできごと。
お向かいの奥さんが朝早くにきて、車の下に猫が潜り込んで具合が悪そうにしてると言いました。
見てみると、血を吐いたのか口の周りと前足にべったりと赤黒いシミがついています。
ガリガリに痩せているし、一瞬パルボ(タチの悪い伝染病)かなあと思ったのですがそのままにもしておけず保護しました。
ちょっと抵抗しましたがケージを見るとササっと入って奥で丸くなったので、飼われていたことがあるようです。
連れ帰って玄関の涼しい所にケージを置くと、うちの鳥たちが代わる代わる見に来ます。
「なになに?」
「今度はだれ?」
「四つ足っぽいよ。」
「どれ…」
ひとしきり様子を伺ってあまりにも反応がないと分かると、鳥たちは一斉に興味を失っていつもの賑やかな朝食の風景に戻りました。
「君たちも慣れたもんだね。」
「小松菜ちょうだい」
「芯の方ちょうだい」
「怪しい奴ー!」
「まだ言ってる」
「抱っこしろー!」
「さなぎちょうだい」
「なんかくれー!」
「ちょおっと、病人が寝てるんだから静かにしなさい!」
シーン。
そして、事情を知ったたくさんのヒーラー仲間が無条件の愛と光をこのねこさんに送ってくれました。
ヒーラーに飼われていたわけでもないのに、こんなにたくさんの愛を受け取れるねこさんはあまりいないだろうなあ。
その節は本当にありがとうございました。
朝のお掃除を済ませるまで少し休ませて、生きてるかな?と覗いてみるとかすかに呼吸をしています。
ほっ。
それから体を拭いてあげようとお風呂場へ連れて行きました。
熱いおしぼりで全身をゴシゴシしてあげると、痩せ方が尋常ではないことが分かります。
少し毛足が長い種類で、たくさん毛が抜けます。
そこへ夫がスマホ片手にやって来て
「どお?ねこさん………へ、へ、ヘックション!ヘックション!へーーックション!!」
「猫アレルギーなんだから無防備に近づいちゃダメよ」
「そうらった~。ずび」
かく言うわたしも猫アレルギーなので喘息薬を吸入して、マスクとゴム手袋を着用しています。
「マスク取ってくる」
「うん」
その時、ねこさんがほんのかすかな音で喉をゴロゴロと鳴らしました。
そしてこちらをじっと見つめています。
ハッとしました。
今まで目を合わせようとしなかったねこさん。
いや、合わせようとしなかったのはわたしかも。
あまりにも状態が悪くて直視できなったのかもしれない。
まじまじと見つめてくる瀕死の生き物が目の前にいる。
感じまいと遮断していたはずなのに、ほんの一瞬のスキに入り込んできたのは、不安と寂しさと空腹と恐怖の記憶、そして安堵のエネルギー。
感じるな。感じるな。感じるな。
ねこさんの辛い放浪生活にフォーカスするのはやめて体を拭き続けました。
「お口見せてごらん?」
やだ
「痛い?」
いたい
「お水は飲める?」
いらない
「そっか…」
「創造主、この子はもうダメかな」
「そうだね」
「何ができる?」
「もう十分だよ」
「そっか…」
今日はいつもの獣医さん休診日だし、もし明日まで生きていたら診せに行こう。
そう思っていたのですが、そっとしておいてあげる方が良さそうです。
何もできない。
何もしない方がいい。
ねこさんが望んでいるのは安心できる場所で静かに終わることだけでした。
そして這うようにしてケージに戻ってしまいました。
その時にチラッと去勢した跡が見えたので、やはり飼い猫だったようです。
飼い主が探してるだろうな…
気になったので一通り保健所の情報をチェックしましたが該当する猫はいません。
友人にメールをすると、彼女が猫を探した時のことをいろいろ教えてくれました。
その子は長年可愛がったミケちゃんでしたが、大きな腫瘍ができてもうすぐサヨナラという時、家を出てしまいました。
リーディングをしたところ、入院中のお母さんを迎えに行ったようです。
ついでに隣のおじさんにも挨拶しとくと言っていたので、もう帰らないんだなということだけは分かりました。
そしてその数日後、彼女のお母さんが亡くなりました。
わたしにとっては幼稚園の頃から可愛がってくれた大好きなおばちゃんです。
料理が上手で少食のわたしを満腹にする名人でした。
まだ日も浅いのに無神経なメールをしちゃったなあと思ったのですが
「あきえちゃんがねこさん保護してくれて、わたしホッとした。うちの子のことがあったから…」
「うん」
猫は死に目を見せないと言う話はよく聞くけれど、大好きな飼い主の元を離れていくなんてこと、本当にあるんだなぁと思いました。
飼い主探しは難しいかも。
そこまでは手が回らないので家で仕事をしながらねこさんの様子をチラチラ見ていました。
夕方、ねこさんはケージの奥に頭を向けてまだ寝息を立てています。
鳥たちの散らかした部屋を掃除してる間、またまたギャオギャオ、カアカア、コケコッコーと大騒ぎ。
「病人が寝てるんだから!しーずーかーにー!」
起きちゃわないか見てみると、頭を入り口に向けてこの大騒ぎを聞いているような姿勢です。
「あれっ?ねこさん、自分で向き変えられた…の…?」
…。
ギャアギャアと騒がしい鳥の声の中、ねこさんはもう空っぽになっていました。
あれだけ痩せていても、生きている時は毛の先まで命があったのに、今はもうぬいぐるみのようです。
「…おつかれさま」
動物は成仏が早いもので、もう魂は光に返っていました。
元の飼い主のところにも行ったようです。
元気な時の姿は大きくて美しいグレーの雄猫でした。
翌日、緑豊かな霊園で合同葬をしてもらいました。
受付で書類に記入する時
「猫ちゃんのお名前をここに書いてください」
「え?」
「名前…」
夫と顔を見合わせて、しばし絶句。
名前つける間もなかったんだもの。
結局「ねこさん」にしました。
そのまんまやねん。
いつもは立ち合いで火葬してもらうので合同葬は初めてだと言うと案内してくれました。
追加で建てた合同の墓地はまだ新しい木の香りがします。
そこにはたくさんの犬猫の写真が飾ってありました。
見なきゃいいのに、見てしまったものだから、写真から飼い主たちの思いが滝のように流れ込んでしまって膝から崩れ落ちそうになりました。
よろよろと立ち去りながら、ふと思いました。
どうして大切にしてくれてた飼い主の元を去る子がいるんだろう。
こんなに悲しみに暮れる飼い主もたくさんいるのに、死に目に会えない飼い主ってどういうことだろう。
「最後を看取ることに耐えきれない魂(飼い主)もいるんだよ」
創造主が言いました。
わたしは最後まで看る派ですが、誰もがそれを選択して実行するわけではないみたいです。
苦しみから何かを学ぼうとしていた頃、看取りはとても辛くズタズタに引き裂かれる思いをしましたが、それはわたしの選択だったのです。
その学び方に気づいてやめて以来、みんな穏やかに体から離れていくようになりました。
もちろん悲しみは伴いますが、魂が破壊されるような苦しみを味わうことはありません。
ねこさんのようになるには相当の苦しみがあったはずです。
そこから目を逸らさず、最後まで一緒にいるのはとても辛いだろうと容易に想像できます。
ねこさんは静かに逝きたかった。
飼い主が取り乱している中で逝きたくなかった。
だから家を出たのかもしれません。
でも独りぼっちはいや。
そうして、うちに来たのかもしれません。
過剰な同情をせず、ただ愛を与えてくれるところ。
静かだったかどうかはわかりませんが、ジャッジメントを持たずに見送ってくれるところ。
全ての猫がねこさんみたいに静かに見送られたいわけではないでしょう。
引きとめられながら逝くことを望む子もいるだろうし、飼い主と一緒にパニクるのもありだなと思う子もいるでしょう。(わたしはよくこういうことをやっていました)
別れも人生の一部、その子と飼い主とで創り出すものだと、わたしは信じています。
かわいそうと言ってしまうのは簡単です。
ですが、ねこさんはかわいそうな存在としてこの世を去るのは不本意だったのだと思います。
ここではたくさんの愛を一身に受けながら亡くなった幸せな存在です。
束の間の交流でしたが、たくさんのことを教えてくれたねこさんでした。
ありがとにゃ。