先日、ふとフェイスブックで流れてきた広告の「HSP」の文字。
何かしらとググったら
HSP=Highly sensitive person ハイリー・センシティブ・パーソン
感受性の強い人、五感が敏感な人、繊細な人、共感能力が高い、
みたいなことがずらっと書かれていました。
また、内向的な人が多く、生きづらいと感じてる人も多いとか。
HSP診断テストなるものもあり、やってみたらまさかの「強」判定(爆)
で、説明を読んでいて違和感。
そのほかのHSP記事も片っ端から読んでみて違和感。
アマゾンのHSP関連本のタイトル見て違和感。
なんか慰められてるような…???
病気じゃないよ。
大丈夫、生きづらいと認めたらいいよ。
その分才能豊かなんだし。
うるさいわね、大きなお世話よ。
病気じゃない。知ってるよ!
生きづらいと認めたらいい。認めてるよ!
才能豊か。じゃあそれだけで食べていけるの?
何にムカムカしたのか、ここ数日考えていました。
(って、この考え込むのも特徴なんだって!マジですか)
確かに昔から「繊細」と言われることが多くて、その度にどこか恥ずかしい気持ちになっていました。
繊細=すぐ傷つく=弱虫
敏感=神経質
勘がいい=扱いづらい
という意味合いで大人が使っていたせいだったと思います。
言葉の意味ではなく、人が「内心意味するところ」を感知する子供だったので。
特に、簡単に傷つくことで小2の時の担任の須永先生(実名)に「弱虫」認定されたことがトラウマになってもいました。
いやあ、この先生のことでは本当にどれだけトラウマとビリーフのワークをやったか。
どっちが東か理解できるまで校庭の真ん中で太陽見てろとか、
泣くと「すぐ泣けばいいと思って!」と罵るとか、
2年生で初めて九九を習った時に「なんでできないの」とか、
自分の名前「磯塚映絵」が漢字で書けなくて、「皆さーん、イソヅカさんは2年生にもなって自分の名前も漢字で書けないんですってー!」と晒し者にされたりとか、
知恵遅れの子に親切にしたら「仲良いのね、結婚すればー?」とか、
毎日恐ろしい思いをしながら登校したものです。
「これも人生のギフトだよ」って、思えるまで何十年かかったのかしら。
まあ、すごい学びとネタを与えてくれた人でしたね。
今だったら通報ものです。
ただ、当時は生きづらさはデフォルトだったので、学校なんてそんなものだと思っていました。
神経質でガリガリに痩せて喘息持ちだけど朝礼で倒れたことないし。
敏感で音や光や匂いで吐いたりしたけど勇気はある方だし。
傷ついて暴れることはあっても動物には優しいし。
日常でヘトヘトになっても「自分は弱いんだ」とは認めようとしませんでした。
だから「生きづらいからなんなの?」とムカムカしたのだと思います。
HSPを生きづらさの言い訳にしてる人がいると感じて、
わたしの中の頑張り屋一家が「なにおう?甘ったれたこと言ってるんじゃねーぜ!」
と、しゃしゃり出てきたわけです。
エゴ発言してくるのでこの一家はちょっと面倒な人たちなのですが、ガラスのハートが砕け散るたびに、破片がこの一家の一員となって、立ち直る手伝いをしてくれていたのです。
なので今では大事な部分でもあるんですね。
最近出番少ないですが。
で、このHSP記事を読んでムカムカしたおかげでわたしは自分の中にまだ「強くなくちゃいけない」と、思い込んでる部分があったのだと気づいたのでした。
強い弱いは単なるジャッジメントで、
弱い自分を恥じているのはどうしてなのかということですね。
ここら辺は少し掘り下げが必要になります。
そしてまた、繊細で生きづらいことを選択して生まれてきて一体何をしたかったの?
ということです。
これは簡単。
鈍感で共感力無かったらヒーラーになれないじゃん!
生きづらさを経験したからこそ、もっと楽に生きようって思えたし。
それに、鈍感だと鳥を飼っても「あれ?死んじゃった」と、病気に気づくこともできないからやばい。(鳥は病気を隠すので繊細な人でなければ変化に気づきません)
生きづらい理由は人それぞれです。
生きづらいことにフォーカスすると、どんどん生きづらくなります。
そもそも他の人になったこともないのに、どうして自分だけが生きづらいと決めてしまったのでしょう。
シータヒーリングを始めてから、自分の良いところも悪いところもすべて必要だから持って生まれてきたのだと思い出したとき、ようやく自分を否定することを止められました。
いろんな人がいて、いろんな遺伝子があるから、人類はまだ存続してるんですね。
わたしが生きづらかったのはHSPのせいではなく、自分のことを否定していたせいです。
自己否定はいろんなものを自分から奪っていきます。
もし、あなたが生きづらいなぁと感じていたら、毎日何でもいいので「OK!」と自分に言ってあげてください。
生きづらさも、生きやすさも、自分の選択次第。
全てが揃っていて、なんでも選べることが真実なら、あなたはどんな人生を選びますか?