先日、久しぶりにお山を歩いてきました。
今の季節は緑が優しくて癒されますね。
ケイちゃんが亡くなって一ヶ月。(その記事はこちら)
ほとんど仕事もせず、引きこもってNetflix三昧でした。
少し休んだら、わたしも前に進むね。
そう言ってお別れをしてから、ほとんど働かずに休みっぱなし。
ある意味有言実行?
ふと気づくと、あの茶色いもふもふを全身の細胞が探していて、
いないんだなぁと気づき納得する。
その繰り返し。
やる気を失って、リラックマのようにゴロンと転がる日々でした。
いわゆるペットロス。
何度経験しても慣れるものではないけれど、対処法がわかっているので抵抗せずに過ごしていました。
(たまに夫に吐き出したりもして)
ヒーラーが言うのもアレですが…
大切な誰かを失ったら、ヒーリングなんかしても効果ないですよ。
ヴァイアナもそんな時はヒーリングなんかしないで、感情を出し切るようにと言っています。
悲しみを封じ込めたり、
なくそうとする必要はないんです。
癒しというのは段階があって、まずは傷を認識するところから始まるのです。
ここに傷がある。
そう認識できて初めてそこから動くことができるのです。
人というのは傷を隠すことが非常に上手い生き物で、長い年月をごまかしながら生きていくことすらできます。
認識されない傷はネガティブなエネルギーを出し続け、そのうち病気を作ったり、他者との関係を壊して心を病んだりしてしまうのです。
ペットロスだろうが親子間の亀裂だろうが、傷は傷。
自分の身に起きたことを受け入れることが容易でない時もありますが、目をそむけていても傷が消えることはないのです。
わたしが子供の頃から繰り返してきた別れの中で見つけた方法は、
ひたすら悲しみに浸って、
飽きるまでそこで溺れる
というやり方でした。
子供ならまだしも大人になってこれをやると、「人としてどうなの?」という感じで見られることもありますが、踏ん張って働くほど我慢強くないので潔くダメ人間になります。
ポイントは徹底的にダメ人間になることです。
二足歩行ができないくらいゴロゴロして、
発作的に高額な買い物とかしても許してあげましょう。
そうこうしていると飽きてきます。
そして少し起きてみてはやっぱダメだと、またゴロゴロします。
これでいいんです。
この間に味わう様々な感情はたくさんのことを教えてくれます。
だらだら見てるNetflixだって、いろんなメッセージを持ってきてくれるんですよ。
そしていい加減飽きてきた頃、もうそろそろ動きなさいというサインがあちこちで点滅し始めます。
友達からのメールかもしれないし、SNSの投稿に紛れているかもしれない。
開いた本の一文の時もあるでしょう。
そのサインに気づいたら、重くなった身体を引きずってようやく陽のあたる場所へと出ていきます。
その時世界はまるで違う場所になっているでしょう。
ダメ人間養成場は、実はハイヤーセルフが用意してくれた魂の休憩所だったのです。
次のステージに向かう前、サナギのように全てを溶かして変容する期間が必要なだけだったのです。
全ては完璧なタイミングで起こり、必要なことを与えてくれていたのです。
木漏れ日の中の道をゆっくりと歩き、肺に入ってくる空気を味わう。
一枚一枚の葉っぱすら愛おしい。
肉体を持っているからこそ味わえる感情や感覚。
それがどれほど貴重なものかをしみじみと感じながら、
ゆっくりと歩くのでした。
一歩一歩、今を踏みしめて。