気づき

生まれた日に思うこと

 

昨日は誕生日でした。
恒例のお誕生日ディナーに行って、身動き取れなくほど食べ過ぎてしまいました。

はち切れそうな胃袋をさすりながら思ったのは…

「ここのコースは量が多いのわかってたのに、またやっちまった」

…ということではなく。

「どうしてケーキがあんなに大きいのに、さらにアイスまでついてるんだろ」

…ということでもなく。

「隣のテーブルのおじさんとおばさんのカップルは、どんな関係なんだろか」

…ということなわけがなく。

全身の血液が胃に行ってしまって何も考えられなかったのですが(考えてたろ十分)、帰ってきてRちゃんに

「お誕生日ディナーで食倒れなんて、なんて幸せな日♡」

と言われて、はたと気づきました。

「ああ、そっか。幸せなのか。」

もう誕生日を祝う歳でもないけれど、お友達からおめでとうメッセージをもらうと嬉しいし、遠くに住んでる家族からもメッセージもらって安心するし、

何も欠けてない

それどころか、はち切れそうにいっぱい持ってる(胃袋の中身だけじゃなく)。

これを幸せと言わずして、何と言おう。

普段の生活の些細なことから幸せを見つけて暮らしていると、特別な日の特別な感情をなんて表現するのか思いつかなくなってる事実。
改めて、幸せに大きさなんかないということを、逆パターンから気づきました。

うん十年前のこの日、ぬるりんポンと生まれた私。

あの日があったから、今があって、幸せに感謝をしています。

そして…

たとえ幸せと実感できず淡々と過ごす日々があっても、やはりそこには感謝があって、淡々と過ごすことさえできなかった辛い日々を思い返してみても、やっぱりそこには感謝がある。

これから先、いろんなことがあるかもしれない。
でも多分、いやきっと、今の私はどんな時にでも感謝ができるだろう。
そういう人になりたいと、真っ暗闇の中で叫んでた頃の私はもういない。

毎朝起きるたび
「今日の私に感謝します。今日の地球に感謝します。」
とセミナーの始まりのお祈りのような言葉が浮かんできます。

何があっても幸せ。何もなくても幸せ。

何があっても感謝。何もなくても感謝。

「おまえの存在そのものが感謝だよ。」
私に向かって創造主はそう言いました。

有り難い。

有り、難い。

つまり、奇跡の存在です。

世の中は奇跡の存在でいっぱいです。
そこら中、感謝だらけです。

サンキュー、クリエイター♪

 

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